​海の追想

「ハワイ行き二泊三日の旅!今ならお得の初夢フェア!」

目の前の書類ラックに並んでいるパンフレットを眺めながら、肩肘をついて頬に手を当てる。課長がこの姿をみたらきっと「たるんでる」とか、「今時の若いのは…」とか言い出しそうだけど、そんなことはもうあまり気にならなかった。

 

旅行が大好きだからと入社を決めたこの会社。

給料は高くないけれど、自分の好きなことに関われるという期待があった。

 

あわよくば現地調査という名目で、世界各地を飛び回れるなどと想像していた時期もあった。しかし現に与えられた仕事は、書類整理と受付窓口。この年にしてようやく、”理想”と”現実”の意味を理解させられたのである。

 

ウィン、と自動ドアが開く音が鳴る。

たるんでいた背筋をピンと伸ばし、入店客に軽い挨拶を伝えた。

「いやぁ〜、凄かったわよ」

この店を頻繁に利用する、リピーターの関口さんだった。

なんとなく肩の力が抜けて、再び背筋がたるむ。初見のお客様を相手にするのは、いつになっても緊張してしまうものなのだ。

「お久しぶりです。関口さん。しばらくぶりですね」

「一昨日まで沖縄にいたの。昨日帰ってきたばっかり」

「大忙しですね。どうでしたか、沖縄は?」

「沖縄って、話に聞いてた通り時間にルーズなのね。タクシー予約しても全然時間通り来ないし。おかげで飛行機乗り遅れるんじゃないかって、ヒヤヒヤしたわよ」

手をブンブン振り回しながら旅行の感想を告げる関口さんをみて、微笑ましく思う。その無邪気さから、楽しさがこちらにも伝わってくる。

「やっぱり旅行の醍醐味は食事よね。沖縄そばって、結局東京でも食べられたりするじゃない?サーターアンダギーなんて、ホットケーキミックスで簡単に作れるらしいし。でも、やっぱり私、本場で食べるからこそ意味があると思うの」

それ、凄くわかります。心のなかで強く同意する。

現地だから値段が安く美味しいものを食べられるとか、産地直送で新鮮な食料を使っているとか、そういう話でない。

旅行先で食べる料理には、特別な”魔法”がかけられている。

「あ、それとね…」

カバンから何やら小包を取り出す関口さん。

そしてそれを私へと手渡した。

「あなたにおすすめされた青の洞窟、凄かったわ。」

小包のなかには、海や空をモチーフにしたレジンアクセサリーが入っていた。

「流石に私の歳でダイビングは気が引けたから、シュノーケルにしたわ。水が澄んでいて、魚もハッキリ見えるの。素敵だった」

まるで関口さんが見た空間をそのまま切り取って、小さくしたような。写実的でありながら、幻想的な世界が、その透き通る固体のなかに詰まっていると思った。

それを眺めながら、私は様々なことを思い出していた。

しょっぱくて塩っけの強い海水。

生温かくて優しい夏の風。

カンカンと照りつける日差し。

静かに揺れ続ける椰子の木々。

何も考えずに、海に浮かぶだけのひととき。

その時間がいかに貴重だったのか、今になってわかる。

アクセサリーのなかにはそんな幸福な時間が、静止したまま閉じ込められている。

「いいところ教えてくれて、ありがとう。お礼の土産よ」

「えっ、これ頂いてもいいんですか?」

「もちろん!それじゃあまた今度来るから、おすすめの観光スポット教えてね」

そういって颯爽と帰る関口さん。どうやらこれを渡すためだけに、わざわざ店を訪れてくれたらしい。あるいは、旅行の感想を誰かに共有したかったのかもしれない。

 

仕事が終わり、同じ職場の同僚達に挨拶をして、いつものように店を出ようとする。

入口に並んでいるパンフレットのうち、一つに目が留まる。

「沖縄旅行・ツアー!おすすめプランが満載」

私はそのパンフレットを手に取り、抱えていたカバンにしまう。

そして自動ドアから外へ出る。日差しが強くて思わず目を細める。

家を出た時には気づかなかったけれど、今日の空は思っていたよりも高く、青く、澄んでいた。

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海は夏のイメージが強いかもしれません。ですが時間帯や季節によって空と海の表情が変わります。

静かな早朝・日差し輝く昼間・切なさ残る夕陽・踊り出す夜…

ご自身の思い出、第一印象などあなたに合った景色に出会えますように。

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