ぽちゃん。

水琴窟の音は、いつ聞いても心地が良い。

特にこうして温浴施設の湯船に浸かりながら、

ぼーっと耳をそば立てている時間が至福のひとときである。

 

浴場のすぐ近くに置かれた小鉢状の壺から、

その見た目からは想像も出来ないような美しい、大きな水滴の音が響き渡る。

 

水琴窟とは日本庭園の装飾の一つで、壺状の形をした焼き物の空洞部分に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕組みになっている。

洞窟のなかで水滴が落下した際、その音がゆっくりと洞窟全体に広がっていくのと同じ原理である。

 

少し高い場所にあるこの露天風呂は、私のお気に入りの場所だった。

平日のこの時間はあまり人も多くないし、浴場に余裕がある。

それに、日が落ちかけるか否かの瀬戸際で、まだらにオレンジがかった空がとても美しいのだ。

 

「今日はあのあたりで、お祭りがあるそうですよ」

普段この銭湯で人に声をかけられることは珍しいので、最初は自分が声をかけられていることに気づかなかった。

「え?」

「ほら、ちょうどあのあたりです。確か今年は打ち上げ花火も準備してるみたいですから、もしかしたらここから見えるかもしれませんね」

声の主は私と同じ年齢か、少し上の年齢くらいの女性だった。

「へぇ、打ち上げ花火ですか」

「はい。ここ最近お祭りも自粛ムードでしたから、きっと今年は盛り上がるでしょうね」

確かにこの頃は外出を控えたり、外でのイベントが開催しづらい雰囲気があった。私自身、毎年夏になれば花火大会のスケジュールを確認していたものだけれど、今は調べてすらいない。仕事が忙しくなったといえば、言い訳になってしまうだろうか。

「あ、ほらっ」

彼女が嬉しそうに声をあげる。その数秒前に、遠くから小さな破裂音が響いた。

それからひゅーっと風を切る音が聞こえて、

その音に合わせるようにしてゆっくりと光の線が空をたどる。

花を咲かせるようにして、彩り豊かな火花が方々へと飛び散った。

 

その瞬間、祭りの会場からは離れているはずなのに、

懐かしい匂いが鼻のあたりをかすめた。

屋台から漂う焼きそばソースの食欲を誘う香り。

チョコバナナ、ラムネ、りんご飴の甘ったるい誘惑な香り。

夏の夜の、蒸し暑くて独特な香り。

すれ違う人たちの期待と高揚感に溢れた香り。

普段は別々の人生を歩む人たちが、

この日だけはこぞって同じ景色を楽しむ。

私はそんな非日常な空間が、昔から大好きだった。

 

「ほら、一回だけだぞ」と、両親にお願いしてやらせてもらった金魚掬い。

結局一度目だけではうまくいかず、二回のチャンスを与えてもらって、

ようやく私は金魚を捕まえることが出来た。

 

私はその子に名前をつけ、自宅で育てた。

金魚のわりには長生きしていたと思う。

今思えば、私が人生で初めて命の儚さと重みを知った体験だった。

 

「あ、見て!」

再び空を見上げると、そこには大きな金色の金魚の姿があった。

金魚の形をした大きな火花が、まるで意志を持っているかのように空中を泳いでいた。

 

金魚との生活が、鮮明に思い出される。

お風呂からあがったら、少しだけお祭りに顔を出してみようかなと思った。

 

同時に、ぽちゃんと水滴の音が響く。

​あの子が気持ちよさそうに泳ぐ姿が頭をよぎった。

金魚の波紋

金魚Museum様

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